京都北山・祖父谷峠の語源は、小野素風(惟喬親王に侍)の素風からきていると道中の石碑にあったが、京都に都が移る前から若狭から丹波を経て京へと結ぶ古くからの峠とされている。雲ヶ畑と京北町井戸を結ぶ峠で、若狭から御所への最短ルート上にある。
周山から山国への道路には、下の写真の通り「祖父谷峠通行不能」の標識がかつては存在していた。府道として計画されていたのだろうが、ずっと山道のまま残されている。
今春、たまたまロードレーサーで走っていたら、ちょうどその標識を撤去する現場に出会った。
写真:2024年4月まで存在した標識
写真:ちょうど撤去現場に遭遇した(2024年4月)
ハイキングでは何度か祖父谷峠を通過しているが、雲ヶ畑から井戸まで峠をコンプリートしたことはないのでMTBでゆくことにした。
京都市内、賀茂川沿いに上がると、雲ヶ畑に着く。御所の上流にあることから、水を汚さないようにと先祖代々生きてきた人たちが暮らす地区。
以前、賀茂川にダム計画が生じ、広範な市民の反対で計画は中止になったが、ダム建設予定地(雲ヶ畑の下流)付近の土地利用が乱れ、残土や産廃の埋め立て地が出現、菊の御紋ステッカーを貼ったダンプやトラックが行き来するようになった。
北陸新幹線のトンネル工事計画といい、日本国の美を破壊するのが、「保守」側に属するとされる人たちというのが解せない。
雲ヶ畑の惟喬神社。惟喬親王を偲ぶ地は北山にも広範に存在する。神社だけでなく、惟喬親王から杜若(かきつばた)を育てるように仰せつかって、杜若を名乗り地名にもなっている場所とか。
写真:雲ヶ畑の惟喬神社
雲ヶ畑からの林道を進み、ゲートから先はダート。
しばらく走ると林道から別れてシングルトラックになり、祖父谷峠を目指す。
写真:祖父谷峠へ。桟敷ヶ岳との分岐。
若干、押しと担ぎになるが、たいしたことなく祖父谷峠に到着
写真:祖父谷峠
峠を少し降ると、首を切られたお地蔵さんがあった。寛政八年。明治政府による廃仏毀釈の犠牲かもしれない。
京北町井戸へと降る。
写真:祖父谷峠、井戸へ。
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