水俣から椎葉村、諸塚村
2022-12-17


九州新幹線を利用すると、私の住む京都と九州は、以前では考えられないくらい近い。
九州山地の奥深く、椎葉村(しいばそん)を訪ねるのが今回の旅のモチーフ。
出発地には早めに着いて、帰路にしみじみと車窓風景を楽しむのが好きなので、新幹線の通る熊本側から九州山地を横断して宮崎側に抜けるプラン、出発地は水俣とした。

新水俣駅は雨。水俣に来た以上、やはり水俣病資料館に行かねばと思い、レインウエアを着込んで出発。水俣湾を望む小高い丘に、周囲を圧迫しない白い建物があった。

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写真:水俣病資料館
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写真:水俣病資料館近くで望む水俣湾

もし自分が水俣病の加害企業であるチッソの社員だったら、もしお得意先がチッソでその担当だったとしたら、どう考えて、どう振る舞ったのだろう、と思ったりした。

しかし、帰宅してから関係資料に目を通したりしたところ、そんな甘いものではないと気付いた。会社のスタンスに疑問を感じたりするようであれば、勤めあげるのは困難な事象に満ちた状況だったのではあるまいか。事実の隠蔽と策動、差別に立脚した大企業の存在とその社員の待遇。

チッソは2011年に事業を子会社の「JNC株式会社」に全面的に譲渡し、持ち株会社になっている。「JNC株式会社」の会社案内・沿革をみたところ、水俣病について一文字も触れていない。どうしてこの会社が現在の形で存在しているのか、まったく説明がないのは奇異に感じる。負の歴史は親会社のチッソに全部置いてきました。今の私たちの会社にはもう関係ないです、とでもいいたいのであろうか。

禺画像]写真:水俣駅

”2014年歌会始の儀”の御製
「慰霊碑の先に広がる水俣の海青くして静かなりけり」
水俣をめぐっての二首の御製
「あまたなる人の患ひのもととなりし海にむかひて魚放ちけり」
「患ひの元知れずして病みをりし人らの苦しみいかばかりなりし」

水俣病についてこれまでほとんど知らずにきたことを恥じた。
高山文彦「ふたり」講談社文庫2018を一気に読み終えての反省。
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水俣市内を通って、1988年に廃線になったJR山野線跡地利用の「日本一長い運動場」を走って京町温泉を目指した。
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写真:「日本一長い運動場」=山野線跡 起点
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写真:水俣川にかかる鉄橋
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写真:山野線プレート
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