カーボンとクロモリの乗り味の違いと、自転車の命名についての一考察
2016-10-08



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写真:グランボア 泥除付レーサー
   サンツアーシュパーブプロほぼフルセット 2008年納車

禺画像]写真:CASATIゴールドライン  1990年購入

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写真:TREK ドマーネ 2016モデル

 今日は、ちょっと昼ご飯に”猪ラーメン”へと向かい、まっすぐ周山街道(R162)を走るとすぐなので、いつもの保津峡から水尾経由、長野を回って行きました。約50km。

このところクロモリの自転車に集中的に乗っているので、今回は最新のカーボンモデル。トレックのドマーネです。

先週、グランボアの泥除付レーサー(チューブはカイセイ022、ナガサワのクラウン)に乗って、スッと踏むとススーと走る感触に自分の自転車ながら感動しました。その前は、写真(中)のCASATIで、自転車が身体の動きにリニアに反応する、スパッとした走りを楽しみました。今日はカーボンの乗り心地、乗り味について感じるべく、神経の大部分を集中してTREKドマーネで走りました。

そこで思ったのは、「クロモリは人間(の入力)との対話があるけれど、カーボンとは希薄」ということです。カーボンはひたすら前進することに集中していて、ムダなことはしませんよ〜といった感じ。

クロモリは、スッと脚を入れれば、自転車もそれに瞬時に反応してくれます。調子のいいとき、ガンと踏めばドーンと進んで、疲れると、自転車もなんだか進むのをいやがるみたいな感じ。

カーボンだと、人間はモーターになった感触で、自転車はモーターの回転を推進力に忠実に変換しているけど、フレームの存在感が希薄です。空気中に浮遊しているみたいで、存在を感じるのはモーターとしての自分とホイールとサドルとハンドルだけ。

クロモリがマニュアルミッションの車で人馬一体の楽しみ方とするなら、カーボンはオートマ(しかもステップATではなくてCVT)車で、とにかく楽に速ければいい、みたいなものかもしれないと、思ったりもしました。

クロモリはフレームの存在というのをすごく感じます。それだけ重いということかもしれないけど。

定量的な比較はしていませんので、まったく定性的な、まあどうでもいいような個人的感想ですが、クロモリは自転車との対話があるから、旅にはぴったりだと思いました。なんか、「こいつと一緒に走っている」という気持ちが生じ、自転車が仲間のように思えるのです。

となると、自分が乗っている自転車に名前を付けたくなる気持ちになるのも、不思議ではありません。1970年代とか80年代は、けっこうそういうノリがあったのではないでしょうか。

今のカーボンロードバイクに名前を付けて呼んでいる人は、多くはないと思いますが・・・。

ウチが自転車に名前を付けるカルチャーだったとすると、最初の数台はいいのですが、そのうち、
◇家人:「おとうさん、いいかげんにしてくださいよ」
◆私:「う〜ん、じゃあ今度の自転車の名前は ”トメ”にするよ」
そして、またしばらくして
◆私:「すまん、また1台生まれてしまった。名前は”トメ吉”にするから」
◆私:「あーっ、ごめん。また1台出来てしまった。名前は”トメ子”だからな」


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